« 最後のカーネーション | トップページ | 相沢商店一口咄 »

2009年7月 1日 (水)

君と蟻地獄の町

親の転勤で引っ越してきたその町は、とても田舎だった。
すり鉢状の土地の底辺で、平らなところが殆どない。
ぐるりを見渡せば、連なる山と、その下にある防風林。
そして山の頂上と町を繋ぐように広がる段々畑。
いや、畑ではなく水田だ。
町とは名ばかりの、いわゆる山間の村の様相をしていた。

彼女は転校先の中学校のクラスメイトで、可愛い方だった。
あまり話す方ではなく、どちらかと言えば大人しい。
肩にかかったストレートの髪と、黒目がちの瞳。
よく日に焼けた肌。
彼女に片想いをしている男子は多いと、転校初日に教わった。

町バスが唯一の交通手段で、それがなければかなりの距離を歩くハメになる。
行き交う人々は、野良作業の出で立ちをし、いかにもその土地に似合っていた。
生徒達も、垢抜けない感じがした。
親の仕事の都合で転々としていた僕でも、さすがにこの町は田舎だと思った。
春。
まだ冷たさの残るその町に転校してきた僕は、転校生が珍しいらしく、クラスメイトに取り囲まれ、すぐに話題の中心になったし、そんなコトは馴れていたので、すぐにうち解けたヤツも何人か出来た。
ただ、この町は特に長居はしないと父親が話していたので、親しくなりすぎないようには注意をしていた。
転校する時に泣いて送り出されるのなんてゴメンだ。
当時は本気で、そう思っていた。

それから半年で実際、僕は別の場所へ転校になった。
それからも転々とした。
大学に入ってからはさすがに一人暮らしをして、落ち着いたけれど。
一年以上同じ町に居着かなかった僕は、その生活に戸惑っていた。
不思議なことに、そのすり鉢の底の町で出来た友達とは、連絡を取り合っていた。
何度も転校をし、どれだけの人間の間を通り過ぎてきたか、自分でも判らない僕は、いつまでも手紙や電話をくれるヤツらの存在が嬉しかった。
メールは・・・町全体が圏外で、パソコンを持っているヤツとだけ交わしていた。
一人、同じ大学へ進んだヤツがいて、一緒にいることが多くなった。
もちろん今の生活に関することを多く話したが、時折混じるあの町の話題が妙に懐かしかった。

だからかもしれない。
大学三年の夏。
あの町へ行ってみたいと思った。
それを話すと、そいつはひどく喜んで、夏期休暇の帰省で一緒に行こうと言ってくれた。
家にも泊まらせてくれると言ってくれた。
町に宿泊施設は僅かしかない。
その辺の事情もある。
そして、その町へ、中学以来で戻った僕を驚かせたのは、景色の不変さだった。
緑の山々。
風が吹くと、ぱらぱらと稲の葉が、涼やかな音を立てる。
夕方になれば、蛙の合唱が始まり、夜になればそれに虫の音が混じる。
川とは名ばかりの、農業用水路の水音。
吹き抜ける涼風。
ぐるりと取り囲む段水田。
なにもかもが、そのままだった。

友人宅へ宿泊して、数日後。
縁側で、井戸で冷やしたスイカを齧りながら、ヤツがポツリと言った。
「いつまでも、このままじゃないさ。」
耳を疑った。
この町は、普遍であるべきだ。
そう思っていたのに。
「オレら、さ。町のみんなも家族もだけどさ。このまま居たいと思ってるんだよ。」
青く広がる空を見上げた。
この町から見上げる空は、広く、狭い。
底辺から見上げる、と言った感覚が一番近い。
「でもさ、そうはいかないんだよな・・・。」
ヤツはそれっきり、その話題には触れなかった。

その夏は、本当に楽しかった。
当時のクラスメイト集めて裏の神社で肝試しをしたり、釣りをしたり。
町の花火大会も、みんなで出かけた。
その時会った彼女は、とても綺麗になっていた。
高校を卒業して、家業の紙漉をしていると聞いた。
楮(こうぞ)が良く茂り、水の綺麗なこの町の和紙は、評判がいいらしかった。
彼女はその老舗の娘だと、その時初めて知った。
この町がとても好きだと言ってた。
その瞳は何処か、遠くを見ているようだった。
清楚すぎてカレシが居るかどうかなんて、訊けなかった。
ぽつぽつと、静かに話す彼女と、大輪の花火を見上げながら、露店に群がる連中に冷やかされたりした。
だからこっそりと、ケータイの番号とアドレスをメモにして渡した。
照れ隠しに、足下に咲いている花が綺麗だとか言ってみた。
彼女はくすくすと、笑っていた。
その時のことは、今思い出してもくすぐったい。

ひと夏はまばたきのように過ぎ、大学へと戻った。
それから先は、特筆するべき事はない。
時折思い出すのは、あのすり鉢の底の町の思い出。
あの後、彼女からは綺麗な和紙の葉書が届いた。
丁寧で達筆な毛筆。
不自然に隅にプリントされた、メールアドレス。
透かしで入っている花の名前は、わからなかった。
簡単なメールのやり取りは、何度かした。
けれど、何か進展するような内容ではなく、そのうち回数も減って、いつしか殆ど届かなくなっていた。
大学を出て就職し、日々の雑多を繰り返すうち、あの懐かしい風景も翳んでいった。

大学で一緒だった町のヤツと会ったのは、卒業してから何年も経った頃だった。
ヤツもこちらで就職して、連絡は時々取っていたが、会ってはいなかった。
その時はたまたま連休で、お互いの休みとかスケジュールが合ったから、久しぶりに会って呑もうと言う話になったのだった。
ヤツもすっかり社会人風になって、ちょっと疲れた感じだった。
結構呑んで、僕の家で更に呑んでいた時、ヤツは突然、爆弾を投下した。
「あの町さ、なくなるんだ。」
耳を疑った。
町が無くなるとは?
意味がわからなかった。
「ダム建設が、前から計画されていたんだ。随分反対したんだけどな。町全体で反対したんだけど、周辺のさ、村とか町とかの水不足が深刻でさ。市とか県とか国とか。上の方に押し切られたんだ。」
ヤツは肩を落としていた。
「・・・いつ?」
それしか声が出せなかった。
「来月。」
ヤツも、あまり言葉にならないようだった。
「もう、町の連中、殆ど引っ越していないんだ。イヤになっちゃうよな。生まれ育った場所が無くなるなんてさ。」
あの町は。
すり鉢の底辺で、山や川の恵みを受けて、穏やかにいられるはずではなかったのか?
人々が穏やかで、素朴で、本当の意味で豊かで。
「すり鉢の下には蟻地獄がいてさ、町の利益とかなんとかは、上の方に吸い上げられていたんだよ。農家が土地を無くしたら、どうすればいい?」
ヤツは涙声になっていた。
「町の殆どは農家だ。田んぼも、野菜畑も、全部無くなる。新しい土地をあてがわれたって、畑耕すしかできない連中に、どうやって暮らして行けと言うんだろうな?」
「補填とか・・・あるんじゃないのか?」
「あるよ。でもさ、先祖代々の畑とか、無くなるのはイヤじゃね?」
町の外の土地で農家を再び始める人もいる。
全く別の場所で、会社勤めを始める人もいる。
選択は様々だそうだ。
ただ、確実なのは、あの町が無くなること。
そして、そこへ戻ることは決して出来なくなると言うこと。
居ても立ってもいられず、翌日ヤツが帰ってから、彼女に連絡を取った。
電話は通じなかった。ケータイは持っていない。メールも返事がない。
内心焦った。
農家だって、大変かもしれない。
しかし彼女の家は特殊だ。
他の土地では、成立しない職種だ。
どうするのだろう、彼女は。
やきもきしたまま、ひと月を過ごした。

我慢出来ず、有休を取って、町が沈むその日に、駆けつけた。
山の中腹で、町の人々が、生まれ育った町を見詰めていた。
もう町は殆どが水没していた。
泣き叫ぶ人。
宥める人。
呆然と見詰める人。
静かに涙を流す人。
様々だった。
その光景は、楽しく過ごした町の日々より、脳裏に焼き付いて離れなくなった。
後で聞いた話によると、後日、何人かの水死体が浮かんだそうだ。
町と一緒に沈むことを選んだ人々の。
みんな、気をつけていたけれど、周囲の目を盗んで、生家に戻った人達がいた。
その中に、彼女の両親もいた。
彼女の行方はわからなくなった。
不安と焦燥。
確かめる術のない無力さ。

暫くして、封筒が届いた。
彼女からだ!
焦って開けたその封筒には、差し出し人の名前しか書かれていなかった。
中には小さな便箋と、葉書が数枚入っていた。
「あの町での、最後の作品です。」
一行だけの手紙。
葉書には、あの花火の夜に見た花が、梳き込まれていた。
人生で、花を見て泣いたのは、後にも先にもこの時しかない。
それ以来、彼女からの連絡はなかった。

あれから何年も経ち、新しい家族が出来、髪にも白い物が混じり始めた。
しかしあの葉書は大切に取ってある。
年数が経っても変色せず、鮮やかなままの紙と花。
素朴な小さな花と、黒目がちの彼女の瞳がオーバーラップする。
今でも鮮明に思い出す。
すり鉢の下の蟻地獄に飲み込まれてしまった町。
緑に連なる山々。
風が吹くと、ぱらぱらと稲の葉が、涼やかな音を立てる。
夕方になれば、蛙の合唱が始まり、夜になればそれに虫の音が混じる。
川とは名ばかりの、農業用水路の水音。
吹き抜ける薫風。
ぐるりと取り囲む段々の水田。
底から見上げる、高い高い青空。
行き交う人々の笑顔。
持った農具の錆の具合。
すべて、忘れない。
彼女が送ってきた便箋は、一筆箋と言う物だと教わった。
それ以来、一筆箋を見かけると、買う習慣が付いた。
絵手紙というものにも挑戦した。
連れ合いはガラじゃないと笑うが、一向に構わない。
何か。
そうすることで、彼女との繋がりが途切れずにいる気がした。

あの強行されたダム建設と、村の水没は、後から問題になり、大々的に報道された。
その報道をどこかで見ているかもしれない彼女は、どんな気持ちだっただろう。
問題視され、批判、避難が巻き起こる中、それでも間違いなく周辺の都市は水不足から解消されたのだとも聞いた。
どんなに言っても。
沈んだあの町は戻らない。
だから。
覚えている人々が忘れないでいたい。
あの素朴な風景を。

休日には筆を執る。
下手な絵で、あの風景を留めようと、悪戦苦闘している。
それでも、あの町のクラスメイトに出すと、とても喜ばれる。
みんな、忘れないんだ。
忘れたくないんだ。
緑風駆けめぐり、輝く日の照らすあの町を。
毎日のように思いを馳せる。
あの町に。
水底に沈んだ緑の町。
そして彼女。
今もどこかで暮らしているといい。
そんなことを思いながら、スイカを一玉買った。
縁側でタネを飛ばしながら食べて、怒られた話でもしようか?
今日は暑くて空が高い。
アリジゴクはウスバカゲロウになって、儚く飛び立つんだったな・・・。

どこか遠くで稲の葉がそよぐ音が聞こえた気がした。

|

« 最後のカーネーション | トップページ | 相沢商店一口咄 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 君と蟻地獄の町:

« 最後のカーネーション | トップページ | 相沢商店一口咄 »