2013年7月26日 (金)

少年と盆提灯

川向こうにあるあの家は、取り壊しが決まったらしい。
緩やかなカーブを描く川沿いに、ポツポツと見える、盆提灯。
蛍のように、夏の闇に浮かび上がって、とても綺麗で物悲しい。
川辺の下草は、午前中の雨を含んだまま、露を弾いて光を集める。
水面にキラキラと反射して光る提灯の灯りは、優しくて懐かしい。

あの日も、午前中は雨だった。
この三瀬川は、川幅は広いけれど、浅瀬が多くて、流れの緩やかな川だ。
河川改修で一時は激減したけれど、蛍が多く飛び交って、初夏の夜を楽しませる。
鮎が生息しているので、昼間は釣りをする人達がやってくる。
夏休みには、川遊びをする子供達の声がこだまして、賑やかだ。
周囲を山に囲まれているせいで、昼間は暑いけれど、夜になると冷え込んで涼しい。
だから、親の里帰りでやって来る子供も多い場所だ。

あの子も、その一人だった。
あの、一件だけポツンと建つ川沿いの家は、元々は大きなお屋敷だったらしい。
度重なる河川改修と、川沿いの道路整備で、元々あった家々は立ち退きをしてしまい、唯一残った家だ。
大きなお屋敷は、広い庭を道路拡張で削られて、家だけが残った。
その家も、蔵などは老朽化で取り壊されて更地となり、川へやって来る人達の駐車スペースになった。
あの頃はまだ離れがあって、あの子達の一家は、そこで寝泊まりをしていたのだった。

僕らは遊びたい盛りで、夏休みに入ると、暗くなるまで外で走り回っていた。
セミを取ったり、川に入って魚を手づかみで取ったり、河川敷の原っぱで鬼ごっこをしたり、毎日がとても充実していた。
だから、休みの終わり頃になって、みんな泣きながら宿題をする羽目になった。

あの子の一家は、都会に住んでいて、毎年夏休みになると、一家であの家に里帰りをしていた。
そして、両親はすぐに帰っていって、あの子だけが残り、祖父母と母屋で寝泊まりを始めるのだ。
小さな頃からずっとそうで、あの子は、僕らの夏休み限定の仲間だった。
色白でほっそりしているのに、気が強くて足も速かったから、毎日野山で駆け回っている悪ガキに混ざっても、まったく違和感はなかった。
その容姿を除けば。
毎日、山に川にと外で遊び回っているのに、全然日焼けをしない子だった。
真っ赤にはなるけれど、すぐに元通りの白さになってしまう。
僕らが炭のように真っ黒になっても、あの子だけは白かった。
それをからかうとケンカになるので、誰も直接は言わなかったけど、やっぱり都会の子だなと、いない時にみんなで言っていた。

あの日。
そう、あの日は明け方に激しい雨が降って、ラジオ体操がなかったから、捕まえたカブトムシやクワガタの世話をして過ごした。
お昼前にはカンカン照りになって、綺麗な青空が広がっていたから、僕らは室内にじっとしていられず、やっぱり河川敷へ集まってしまった。
濡れた草で、くつ下もくつの中もビショビショになったけれど、構わずに走り転げ回って遊んだ。
あの子は少し後れてやって来た。
手には、釣り竿を持っていた。
長い竹でできた竿で、見てすぐに手作りだと分かる代物だった。
僕らは手づかみで魚を獲っていたくらいなので少し驚いたけれど、あの子が釣る気満々なのが見て取れたので、一緒に釣りをすることになった。
家に釣り竿があるヤツは取りに戻ったし、なくてもその辺の枝で適当に自作した。
僕たちには、それは日常のひとつにしか過ぎなかったから、何の疑問もなく、釣りを楽しんだ。

あの子は、アマゴが釣りたいのだと言った。
アマゴはもう少し上流じゃないと難しいって言ったんだけど、前に一度僕が手で捕まえたのを見ているから、ここでも釣れると言って聞かなかった。
お盆休みでこちらに来る、両親に食べさせたいのだと言っていた。

僕らはそれぞれ、適当に石をはぐって、そこにいた虫を餌に、魚を釣った。
あの子は、さすがにフナムシを針に付けるのを怖がったから、みんなで笑い合った。
ミミズやゴカイは平気で付けるクセに。

オイカワは良く釣れた。
アユも、釣れた。
けれど、なかなかアマゴは釣れなかった。
日が落ちてきて、そろそろ帰ろうと言ったけれど、まだ少し頑張るとあの子が言ったので、僕は付き合うことにした。
ひとり、またひとりと仲間が帰っていく。
僕が残っていたのは、単純に、家が一番近かったからに過ぎない。

エサが悪いのかなと思ったので、あの子の針に、小さいエノコログサを付けた。
毛虫に見たてたのだ。
長い竿を大きくしならせてリリースして、少し待つと、何かがかかった。
あの子が、慌てて引いてしまったので、岩の間に糸が引っかかってしまった。
でも、チラッと見えた。
その先に、くっきりと縦じまの魚が食いついていたのを。
間違いない、アマゴだ。
あの子がどんなに頑張って引いても、竿は上がらなかった。

じれたあの子は、川の中へと入っていった。
僕は、慌てて止めたけれど、間に合わなかった。
この川の流れはゆったりしている。
ほとんど浅瀬の川だ。
だけど、今朝は雨だったから、水かさが増している。
それがどれだけ危険なことか、地元の子たちなら、知っている。
けれど、夏と冬の長い休みの時だけやってくるあの子には、それが分からなかった。

案の定、あの子は、深みにはまって溺れた。
泳げるのは知っている。
雨上がり後の川は、水面と水底の流れが違い、大人でも溺れる危険な場所だ。
そんな場所で、子供のあの子が、泳ぎ切れるわけがなかった。
岩に引っかかった釣り竿を離せば、あっという間に下流へと流されてしまうだろう。

僕は、大声で大人たちを呼んだ。
遠くから、返事が聞こえた。
きっと駆けつけてくれる。
河川敷を見ると、誰かが忘れていった浮き輪が置いてあった。
透明で、カラフルな水玉が描いてある、ドーナッツ型の浮き袋。
即座にそれを掴んで、川に入った。
もう、あの子は釣り竿を手放す直前だった。
泳ぎには自信があったけど、こんな状態の川に入るのは、自分でも危険だなって気づいてた。
それでも、じっとしていられなかったんだ。

あの子の元へ泳ぎ着いた僕は、片手で竿を握って、あの子の頭から浮き輪をかぶせた。
細いあの子は、すっぽりと入ったので、頭が浮いて、呼吸が楽になったらしく、少しだけ、力が抜けた。
そして、釣り竿から手を放してしまったから、二人分の重量を、僕が支える形になってしまった。
岸辺から、青年会のお兄さんの声が聞こえた。
あと、もう少し我慢をすればいい。

ロープを巻いて泳いできたお兄さんの方に、あの子を押し出した時、釣り糸が切れた。

川岸に助けあげられたあの子は、泣きじゃくっていた。
大声で、川に叫んでいた。
けれどそのまま、やってきた救急車に乗せられて、いってしまった。
少し入院をして、すぐに都会の家へと帰ったらしい。
その後、あの子は、二度とここへは戻ってこなかった。
長い休みに入っても、あの子も、あの子の両親も、やっては来なかった。

その後、何年かして、あの川沿いの家には、誰も住まなくなった。
おばあさんが亡くなって、おじいさんは、あの子の両親の家へ身を寄せたのだと、誰かの噂話で聞いた。
もうすぐ、お盆だ。
あちこちの家で、迎えの提灯が灯っている。
僕の家も、もうここにはない。
あのあと、引っ越してしまったからだ。

あの頃の仲間はみんな、もう大人になった。
だから、誰もここには来ない。
この土地に住んでいても、来ない。
あの一件が、全てを変えてしまった。

来年には、ここから見える、あの子がいた家はなくなっているだろう。
僕の家もない。
僕を迎える提灯は、ここにはないんだ。

だから、ここからの眺めは、今年限りだろうと思う。
しっかりと見ておこう。
おぼえておこう。
あの頃のまま、真っ黒な子供の僕は、来年にはいなくなっているかもしれないから。

緩やかなカーブを描く川沿いに、ポツポツと見える、盆提灯。
蛍のように、夏の闇に浮かび上がって、とても綺麗で物悲しい。
川辺の下草は、午前中の雨を含んだまま、露を弾いて光を集める。
水面にキラキラと反射して光る提灯の灯りは、優しくて懐かしい。

この風景が、大好きだった。
ずっとずっと、いつまでも、見ていたかったよ。

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