偶然の運命
僕たちは出会ってしまった。
思いもかけず。
これを、運命と言うか、偶然と片付けるかで、未来は違ってくる。
とにかく、僕たちは出会ってしまった。
転勤先の歓迎会。
取引先の人達も混ざっての一席だと言う事だった。
よく聞いてみると、取引先と言うより、関係会社と言った方が近い気がした。
居酒屋の座敷一部屋を借り切っての懇親会。
新しい同僚たちと様々な話をしながら、相手の到着を待った。
西の育ちである僕は、この北の地への転勤で、新しい事を見聞した。
温かい土地柄では聞く事のない生活様式の違い。
聞く話何もかもが新鮮で、うまくやっていけそうだと思い始めていた。
暫くしてやって来た取引先の人達数人へも、愛想良く挨拶をした。
そして、固まった。
そこにいたのは、紛れもなく、自分の良く知った相手だった。
見間違うはずのない彼女。
季節外れの転勤は、見知らぬ土地だった。
住んでいた温かい西の土地とは随分離れた場所。
それでも僕たちは、再び出会った。
幼少の頃。
僕の板幼稚園に、彼女が入園してきた。
親の転勤で引っ越してきたと聞いた。
家が近所のせいもあり、仲良くなった。
通園のバスが一緒だったせいもある。
一番興味を引いたのは、名前の文字が同じだった事だ。
僕の名は英。エイと読む。
彼女の名も英。こちらはハナと読む。
苗字は違ったが、同じ名の漢字である事は、子供心にも興味をそそった。
小学校低学年までは、かなりの時間を一緒に過ごした。
成長するに従って、遊ばなくなっていくのは、どこの子でも同じだろう。
彼女が私立中学へと進んだため中学は別々で、時折道ですれ違う程度だった。
挨拶すらしなかった。
ところが。
高校へ入ると、何故か彼女がいた。
よりによって、同じクラスだった。
何となくまた一緒に過ごす時間が増えた。
そして気付いたら、付き合っていた。
大学は別々だったが、そのまま付き合い続けて、就職後少ししてから結婚した。
何年も付き合っていたのに、結婚生活は長く続かなかった。
お互いの家庭の事情という物は、どうしても生活を圧迫して浸食していく。
お互いの両親の事情。
或いは不仲。
言い争いが増え、関係は冷え切った。
お互いが憎み合う前に、別れようと言いだしたのはどちらだったのか、もう覚えていない。
彼女が好きだと言う気持ちに変わりはなかった。
しかし、どうしても環境に勝てなかった。
そして、僕たちは離婚した。
同じ苗字、同じ漢字を持つ二人から、また別々の二人へ。
同じ姓名から、違う姓名へ。
子供がいなかったので、そのまま連絡を取る事もなかった。
僕は少しして、転勤をした。
断る理由はどこにもなく、また仕事をしていれば寂しさは忘れられたからだ。
更に数回転勤をして本社勤務になったが、この度また転勤となった。
独身者は異動させやすいらしい。
まさか、こんな場所で出会うとは。
異空間へと飛ばされた感覚の、凝固した時間。
彼女も固まっていた様だったが、周囲の雑音で我に返った。
彼女は何事もなかった風に挨拶をして、向かいの席へ座った。
順番に座ったら、そうなってしまった。
正面は、気まずい。
地元で暮らしているはずの彼女が、何故ここにいるのか。
何故その会社にいるのか。
聞きたい。
けれど、そんな雰囲気ではない。
表面上は皆との歓談を装い、心の中に湧く疑問符を閉じ込める。
「この穂高君は、本社での腕を買われて、この支店をもっと広げるために呼ばれたんですよ。」
「凄いですねー。」
そんな会話が右の耳から左の耳へと通り過ぎていく。
脳に留める事は出来なかった。
別れてから数年。
どうしているか、気になってはいた。
けれど、連絡を取る口実が見つからなかった。
彼女の方を極力見ない様にしていた。
見れば、何か言ってしまいそうだ。
「彼女、妹尾さんって言うんですけどね。キレイですよね。うちの支店でも評判ですし、ライバルは多いですよ?」
「へぇ・・・。」
何を思ったのか、ひそひそと小声で隣に座っていた同僚が囁いた。
知っているよ。
子供の頃から、ずっと見てきたんだ。
可愛い子供から、可憐な少女へと変わる頃も間近で見た。
少女から、大人の女性へと変わる頃には、すぐ傍にいた。
結婚した時は、皆に羨ましがられた。
覚えている。
何もかもを。
「でも彼女、誰にもなびかないんですよねぇ。彼氏がいるんでしょうか?」
「へぇ・・・。」
上の空で返事をする。
上司からあれこれと話題を振られ、それを捌くので精一杯だった。
程よく食べ、酔いが回ってきた頃、会はお開きとなった。
まだ土地勘がないため、タクシーで帰ろうとした。
「あれ?タクシー使うんですか?なら、一緒に乗せて下さいよ。途中ですから。」
先程ささやいた同僚が乗ってきた。
「妹尾さんも、こっちじゃなかったですか?一緒にどうです?雪が降ってますし。」
ちゃっかりと彼女も誘う。
心の中でやめてくれと悲鳴を上げたが、彼女は少し逡巡して、素直に乗ってきた。
「じゃあ、お願いします。」
店に入った時にはちらつく程度だった雪が、しんしんと降り積もっていた。
ドライバーが道路交通情報を聞いている。
「確か、川向こうの方でしたよね?」
同僚君が、熱心に話しかけている。
僕は前方を見つめ、静かにそれを聞いていた。
「あ、じゃあオレこの辺ですから。」
ひとしきり話しかけ、一息ついた後、彼はさっさと車を降りた。
車に残された二人。
気まずい事、この上ない。
しかし、無言なのはもっと気まずかった。
沈黙に耐えきれず、話しかけた。
「元気だった?」
「ええ。」
また少しの沈黙。
「どうして、この土地に?」
「ここは母の実家があるのよ。いろいろあって、ここへ引っ越してきたの。」
「そうか。」
言葉が続かない。
「たまたま知り合いにここの会社の人がいてね。来ないかって誘われたから、入社したの。あなたの会社と関係があるとは知らなかったわ。」
「まさか、こんな所で会うとはね。驚いたよ。」
「あなたも、元気だった?」
「そうだね、元気だったよ。他に取り柄がないし。」
「さっき栄転だって言われていたじゃない。仕事が出来る人なんじゃないの?」
「仕事しか、する事がなかったんだよ。」
少し笑った。
変わらない笑顔。
少し痩せた気もする。
元々華奢だが、今はそれ以上にか細く見える。
タイヤが雪を踏む音が、振動が大きくなっていく。
雪で街灯の明かりが滲んで暈やけている。
「お客さん、ここから先は凍っててちょっと無理かもしれません。行けるところまで行きますけれど、引き返す場合もあります。」
ドライバーが、そう告げた。
「家は?」
彼女に聞くと、まだ随分先だった。
僕の家は目前だ。
「僕は歩いて帰れるけど。どうする?」
言った途端、鼓動が早まった。
これではまるで、誘っているようじゃないか!
「あ、じゃあ私もここで。運転手さん、そこの交差点近くで下ろして下さい。」
彼女は潔くそう言った。
「右側に駅があるから、そこまで歩けば帰れるわ。」
何だ。
少し期待した自分が恥ずかしい。
タクシーは、彼女の要求どおり、右に折れて僕たちを下ろした。
雪の中、走り去るタクシーを目で追う。
彼女は折りたたみ傘を広げていた。
「はい。」
「え?」
「傘、持ってないでしょう?一本しかないなら、背の高いあなたが持ってくれなくっちゃ。」
しぶしぶ受け取る。
女性用の傘は小さくて、二人が入るには密着しなければならなかった。
「駅まで送ればいい?」
「泊めて。」
「は?」
クラクラした。
何てストレートを繰り出すんだ。
「問題あるの?なら遠慮するけど。」
「いや、無いけど。」
下心を見透かされた様な気分だ。
「もう、終電過ぎてるもの。」
「あ・・・そうなのか。」
「都会と一緒にしたらダメよ。」
くすくすと笑う。
「じゃあ、こっち。」
自宅まで案内をする。
傘を持ち直す振りをしながら、横顔をチラチラと見る。
暫く見なかった、見慣れた横顔。
「一人住まいの男の部屋へ来るなんて、勇気があるな。」
「何言ってるのよ。」
また、笑う。
別れる頃には、眉間に皺を寄せて悩んでいた顔。
泣き顔だった事もある。
今、愁眉を開いた顔は、やはり魅力的だった。
少し憂いが残っている気もするが、それがまた似合っている。
途中でコンビニに寄り、また歩いた。
「ずっとね、あなたに謝りたかった。」
雪で滑りそうな道を歩きながら、彼女はそう言った。
「あの頃うちの母は随分心の調子が悪くてね、あなたの家族を随分傷つけたと思う。私も頑張ったし、父も頑張ったけれど、駄目だった。」
その話は初耳だった。彼女は続ける。
「どうにもならなくなって、母の実家のあるこの土地へ来たの。少しは良くなったけれど、家ではどうする事も出来なくて、結局今は施設にお願いしているわ。あの時は私にもゆとりが無くて、色んな人を傷つけた。ごめんなさい。」
淡々と語るその唇が、少し震えていたのは、寒さのせいだろうか。
「いや。気付かなくてごめん。僕がもっとわかってあげていれば良かった。」
「知られない様にしていたの。その方がみんなのためだと信じていたけれど。結局、あなたを傷つけてしまったわ。」
彼女の苦悩は計り知れない。
彼女の母親は、少しずつ精神を病んでいったのだそうだ。
当時、彼女の母親からは随分批難や嘲笑を受けた。
僕だけではなく、親族が何人も攻撃された。
言葉の暴力は、人の関係をこじらせる。
お互いの家族が不和になるのは、当然だった。
親族の不和は、本人たちの不和となる。
当時は自分の両親も不仲でゴタゴタしていたので、余計に悪かった。
僕たちは、別れるしかなかった。
「ここの雪は、軽いな。」
「向こうみたいに、ベタベタのぼたん雪じゃないわよね。」
傘から滑り落ちる雪を見つめる。
夜の闇は濃く、吐く息が街灯の下でも白く浮かび上がる。
「本当に。あなたには、ずっと謝りたかった。」
「ずっと、好きだった。」
「え?」
出た言葉は止められなかった。
「別れた後も、好きだった。どうしているかと気になっていた。」
「英?」
「君がずっと謝りたかった様に、僕はずっと好きだと伝えたかった。あれだけ悩んで別れたんだから、言えなかったけどね。」
続く言葉はすらすらと出た。
「事情がわかれば、うちの人間もわかってくれる。気にする事はないよ。」
「ありがとう。」
「本当に、泊まっていく?」
「だって、他に泊まる場所は無いもの。」
僕は立ち止まった。
彼女を正面から見つめる。
「僕たちは、やり直せる?」
最初に付き合い始めた時よりも、勇気の要る告白だった。
「たぶんね。」
「アパート、ここ。」
彼女の手を引いて、エントランスへ入った。
足取りに迷いはない。
彼女も、畳んだ傘を気にしつつ、腕を組んできた。
暫く会社には黙っておこうと言うと、そうねと笑った声が弾んでいた。
僕たちは再び出会ってしまった。
思いもかけず。
これを、運命と言うか、偶然と片付けるかで、未来は違ってくる。
とにかく、僕たちはまた出会ってしまった。
僕は運命だと考える事にした。
だから、好きだと告白をした。
ちゃんとやり直せる。
今度はうまく行く。
運命が導いてくれた再会を、無駄にするつもりはない。
別れていた間も、ずっと好きだったのだから。
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